私のいる場所から
このシリーズでは、世界中の人々のユニークかつパワフルな物語に光をあて、彼女たちの日常における持続可能な開発への挑戦や、彼女たちがいかに変革をもたらしているかをご紹介します。
ステラ・コスマス・チェット(Stella Cosmas Chetto)
“夫は当初、私の区議会選挙への出馬をあまり支持してくれませんでした。「政治は大変だし、沢山のお金も必要になる。政治は男性のものだから、女性のあなたは十分な支援も得られないだろう」と言われました。しかし、支持者が徐々に増えていく様子を見て、夫は変わりました。”
アセトウ・トゥレ(Assétou Touré)
“私は6歳で女性器切除を経験しました。しかし、最もトラウマになっている経験は、姉が切除されているところを見たことです。彼女は運悪く大けがを負い、もう少しで死ぬところでした。”
ヤナル・ムハンマド(Yanar Mohammed)
“イラクはとても厳しい状況にあります。家庭から逃げてきた若い女性、人身取引のグループに騙され売春宿で強制的に働かされた女性、より良い暮らしのために逃げたいという女性、そして家に戻れば殺されるとを恐れ、帰る場所がない女性。”
バラ・マリコ(Balla Mariko)
“マリでは、女性に対する暴力は、以前の私たちには想像できないほどのレベルに達しています。今日亡くなった妹たちを埋めたら、明日は亡くなった娘たちを埋めることになるのかもしれないのです。”
マリア・ジュディテ・ダ・シルヴァ・バレリオ(Maria Judite da Silva Ballerio)
"ジカウィルスに感染していた姪がいます。彼女は先住民族です。ブラジルの女性たちは混乱しています。”
ルシア・デル・ソコロ・バサンテ(Lucía del Socorro Basante)
“弁護士としての長い経験にもかかわらず、(コロンビアのナリーニョ県で)立候補するのは恐怖でした。恐れは人を無力にします。男性議員が抗議するだろうという恐れ、能力不足ではないかという恐れ、男性の領域に入る恐れ。”
ソニア・ディミトリヨスカ
(Sonja Dimitrijoska)
“ストレスを感じたり、激務の時もありますが、仕事が大好きです。私は2015年10月からタマノブツェ※(マケドニア旧ユーゴスラビア共和国)の難民トランジット・センターで人道支援者として働いています。2、3時間毎に電車が到着して、1日だけで約1万人が到着し、出発・到着します。”
ローラ・ボスネア(Laura Bosnea)
"私が21歳のとき、夫は父から私を “奪い” ました。私は当時学生でした。私の父は、ある条件を付して結婚を認めました。それは、 “私がロースクールを修了することを夫が認めること” でした。しかし、私たちは結局二人の子供をもうけ、私は学業を修めることができませんでした。”
サハル・エルサラブ(Sahar el-Salab)
“仕事を休む必要がある時、息子や娘でなく私が病気のため休みが必要だと常に言っていました。子供の病気は休みの理由として認められていなかったからです。”
エイシャ・モハメッド(Eisha Mohammed)
“最初は現場で働くことに苦労しましたが、今では事務所を運営し、そしてコミュニティのソーラー発電に関するワークショップを提供することができています。”
アニサ・マラマ(Anisa Marama)
“私は、スバの マーケットで60年販売しています。自分自身が元気でいれるからこの仕事が好きなんです。家でじっとしているより、ここにいる方が好きだし、子ども達に頼るより自分で稼いだほうがいいでしょ。”
クリスティーナ=フランシスコ・レジェス(Cristina Francisco Reyes)
“私が直面している大きな壁の一つは、障がいを持つ女性は「病気」であるという汚名を着せられ、レッテルを貼られてしまうということです。リーダとはなれず、社会的変化、公平性、平等や政治参加に対し影響を及ぼす能力がない「病気」であると位置付けられているのです。”
スラヨ・ミルゾイェヴァ(Surayo Mirzoyeva)
“家畜が飲む池の水を私たちも飲んでいたため、村では感染病が頻繁に発生していました。何年もの間、地域住民の多くは、清潔な飲料水無しに暮らしてきましたし、状況は変わらないと絶望していました。”
ルーシー・ンドゥアティ(Lucy Nduati)
“私の出身地では、警察官は最も尊敬される人々の中に位置づけられており、私がその一人になることは家族の誇りとなりました。しかしながら、ケニアにおいて女性が警察官になることには、様々な試練が伴います。”