「誰もが暴力による脅威の無い人生を送れるように:誰一人として取り残さない」

2017年11月25日の女性に対する暴力撤廃の国際デーに寄せた、プムズィレ・ムランボ=ヌクカUN Women事務局長のステートメント

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世界中で一挙に#MeToo(私も)の声が広まったことに対する、当初の社会からの反応は、明らかになった性的被害や暴力の規模に対する怒りでした。ハッシュタグに賛同する無数の人々の訴えは、これまでそれらの声がいかに耳に届いていなかったかを示しています。次々と共有される告発により、議論が巻き起こり、責任は追及され、これまで弱みとみなされていた個人の訴えを補強し、確かな運動へと発展しました。

この集団訴訟は、この機会がなければ、その痛みを内に秘めていたであろう人々に力を与えました。プライベートな場での性的暴力は殆どの場合、被害が訴えられないと、単なる意見の相違として片付けられてしまうからです。公共の場における性的暴力ですら、レイプを男性による犯罪としてではなく、女性側の落ち度であり重要でないとみなすような社会であれば、その行為を非難することは不可能でした。

私達は、暴力の醜悪さを目の当たりにしています。権力乱用によって、告発を抑圧し、事実を隠蔽すること、また対立するものを排除し潰すこと。このような権力の行使において、根本的な問題は同じです。アマゾン盆地をめぐる巨額のビジネスに立ち向かう女性の権力擁護者を殺害することも、若い難民女性が食べ物や物資を得るために性行為を強要されることも、ロンドンの小さな会社の女性社員が上司によるセクハラを訴えたことが原因で解雇させられることも。どの場合においても、これらの虐待行為が、報復されたり、法の力に訴えられたり、問責されたりすることはない、という自信に繰り返し裏打ちされているからです。

しかし誰もが、暴力の脅威を感じない人生を享受する権利があります。その人のジェンダー、年齢、人種、宗教、民族やカーストが何であろうと、収入、性的指向、HIVステータス、市民権、どこに住み、どういったアイデンティティであろうともです。

女性や女児に対する暴力は避けられないものではありません。暴力を防止し、その再発による被害を食い止める方法はたくさんあります。

社会の一員として、私達は女性や女児を、児童婚、女性器切除、家庭内暴力、性的虐待やハラスメントなどから守る法律の成立や履行を支援すること、またその成果がしっかりとモニター及び評価されているか監視することが可能です。

暴力の被害者に不可欠なサービスの提供は、包括的で、複数のセクターをまたがり、偏った判断をせず、質が高く、誰もが例外なくアクセスできるものでなければなりません。これらのサービスは、まさに人生が破壊された被害者に対する最前線の対応であり、それらのサービスの中心となるものは被害者の尊厳と安全なのです。

暴力の防止は早期に始める必要があります。教育システムや教師は子供達や若い人々に対して責任ある立場にあり、次世代に平等、尊重、非暴力の原則を伝え学ばせる重要な役割を担っています。そのためには適切なカリキュラムや彼・彼女ら自身の模範的行動が必要です。

この#MeeToo(私も)運動が、人々に明らかにしたのは、この社会をより良くしていくために、全ての人々に役割があるということです。全ての組織は従業員に起こりうる潜在的な暴力を認識する必要があります。その認識に基づき、その防止策と対応策を立てなければいけません。

このような女性や女児に対する暴力を終わらせるためのあらゆる努力の中で、男性が重要な役割を担っています。性差別、男性支配や優位という社会規範に異議を唱えることは、よりポジティブな男性らしさを定義することから始めることができます。両親であれば、平等、権利や尊重の原則を息子に教えることができ、男性は仲間に対し今や受け入れられないハラスメントの数々に気付かせるよう呼びかけることもできます。

現在のテーマである「誰一人として取り残さない」と設定した意味とは、これまで軽視され、横に押しやられ排除されてきた、女性や女児のあらゆるレベルでの参画を促進し、暴力撤廃の解決策に関与させる必要を訴えるためです。

組織を変革し、差別を撤廃し、人権と尊厳を回復し、誰一人として取り残さないためにグローバルコミュニティとして、誰もが女性や女児に対する暴力撤廃に向けて行動をとることができるのです。